2006年11月22日

それから二の四


 両人(ふたり)は酔(よ)つて、戸外(おもて)へ出(で)た。酒(さけ)の勢で変な議論をしたものだから、肝心の一身上の話はまだ少しも発展せずにゐる。
「少(すこ)し歩(ある)かないか」と代助が誘(さそ)つた。平岡も口(くち)程忙(いそ)がしくはないと見えて、生返事(なまへんじ)をしながら、一所に歩(ほ)を運(はこ)んで来(き)た。通(とほり)を曲(まが)つて横町へ出(で)て、成る可(べ)く、話(はなし)の為好(しい)い閑(しづか)な場所を撰んで行くうちに、何時(いつ)か緒口(いとくち)が付(つ)いて、思ふあたりへ談柄(だんぺい)が落ちた。
 平岡の云ふ所によると、赴任の当時彼は事務見習のため、地方の経済状況取調のため、大分忙がしく働らいて見た。出来得るならば、学理的に実地の応用を研究しやうと思つた位であつたが、地位が夫程高くないので、已を得ず、自分の計画は計画として未来の試験用に頭(あたま)の中(なか)に入れて置いた。尤も始めのうちは色々支店長に建策した事もあるが、支店長は冷然として、何時(いつ)も取り合はなかつた。六(む)※[#小書き濁点付き平仮名つ、25-10]かしい理窟抔を持ち出すと甚だ御機嫌が悪(わる)い。青二才に何が分るものかと云ふ様な風をする。其癖自分は実際何も分(わか)つて居ないらしい。平岡から見ると、其相手にしない所が、相手にするに足らないからではなくつて、寧ろ相手にするのが怖(こわ)いからの様に思はれた。其所(そこ)に平岡の癪はあつた。衝突しかけた事(こと)も一度(いちど)や二度(にど)ではない。
 けれども、時日(じじつ)を経過するに従つて、肝癪が何時(いつ)となく薄らいできて、次第に自分の頭(あたま)が、周囲の空気と融和する様になつた。又成るべくは、融和する様に力(つと)めた。それにつれて、支店長の自分に対する態度も段々変つて来(き)た。時々(とき/″\)は向ふから相談をかける事さへある。すると学校を出(で)たての平岡でないから、先方(むかふ)に解(わか)らない、且つ都合のわるいことは成るべく云はない様にして置く。
「無暗に御世辞を使つたり、胡麻を摺(す)るのとは違ふが」と平岡はわざ/\断つた。代助は真面目(まじめ)な顔をして、「そりや無論さうだらう」と答へた。
 支店長は平岡の未来(みらい)の事に就て、色々(いろ/\)心配してくれた。近いうちに本店に帰る番に中(あた)つてゐるから、其時(そのとき)は一所に来(き)給へ抔(など)と冗談半分に約束迄した。其頃(そのころ)は事務(じむ)にも慣(な)れるし、信用も厚くなるし、交際も殖えるし、勉強をする暇(ひま)が自然となくなつて、又勉強が却つて実務の妨(さまたげ)をする様に感ぜられて来(き)た。
 支店長が、自分に万事を打ち明ける如く、自分は自分の部下の関(せき)といふ男を信任して、色々と相談相手にして居つた。所(ところ)が此男がある芸妓と関係(かゝりあ)つて、何時(いつ)の間(ま)にか会計に穴を明(あ)けた。それが曝露(ばくろ)したので、本人は無論解雇しなければならないが、ある事情からして、放(ほう)つて置くと、支店長に迄多少の煩(わづらひ)が及んで来(き)さうだつたから、其所(そこ)で自分が責を引いて辞職を申し出(で)た。
 平岡の語る所は、ざつと斯うであるが、代助には彼が支店長から因果を含められて、所決を促がされた様にも聞えた。それは平岡の話しの末に「会社員なんてものは、上(うへ)になればなる程旨(うま)い事が出来(でき)るものでね。実は関(せき)なんて、あれつ許(ばかり)の金を使ひ込んで、すぐ免職になるのは気の毒な位なものさ」といふ句があつたのから推したのである。
「ぢや支店長は一番旨(うま)い事をしてゐる訳だね」と代助が聞いた。
「或はそんなものかも知れない」と平岡は言葉を濁(にご)して仕舞つた。
「それで其男の使ひ込んだ金(かね)は何(ど)うした」
「千(せん)に足(た)らない金(かね)だつたから、僕が出して置(お)いた」
「よく有(あ)つたね。君も大分旨(うま)い事をしたと見える」
 平岡(ひらをか)は苦(にが)い顔をして、ぢろりと代助を見た。
「旨(うま)い事(こと)をしたと仮定しても、皆(みんな)使つて仕舞つてゐる。生活(くらし)にさへ足りない位だ。其金は借(か)りたんだよ」
「さうか」と代助は落ち付き払つて受けた。代助は何(ど)んな時でも平生の調子を失はない男である。さうして其調子には低(ひく)く明(あき)らかなうちに一種の丸味(まるみ)が出てゐる。
「支店長から借(か)りて埋(う)めて置いた」
「何故(なぜ)支店長がぢかに其関(せき)とか何とか云ふ男に貸して遣(や)らないのかな」
 平岡(ひらをか)は何とも答へなかつた。代助も押しては聞かなかつた。二人(ふたり)は無言の儘しばらくの間(あひだ)並(なら)んで歩(ある)いて行つた。
posted by こころ at 18:36 | トラックバック(0) | それから
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