2006年11月22日

それから二の五


 代助は平岡(ひらをか)が語(かた)つたより外(ほか)に、まだ何(なに)かあるに違(ちがひ)ないと鑑定した。けれども彼はもう一歩進んで飽迄其真相を研究する程の権利を有(も)つてゐないことを自覚してゐる。又そんな好奇心を引き起すには、実際あまり都会化し過ぎてゐた。二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil(ニル) admirari(アドミラリ) の域に達して仕舞つた。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢つて喫驚(びつくり)する程の山出(やまだし)ではなかつた。彼(かれ)の神経は斯様に陳腐な秘密を嗅(か)いで嬉しがる様に退屈を感じてはゐなかつた。否、是より幾倍か快よい刺激でさへ、感受するを甘んぜざる位、一面から云へば、困憊してゐた。
 代助は平岡のそれとは殆んど縁故のない自家特有の世界の中(なか)で、もう是程に進化――進化の裏面を見ると、何時(いつ)でも退化であるのは、古今を通じて悲しむべき現象だが――してゐたのである。それを平岡は全く知らない。代助をもつて、依然として旧態を改めざる三年前の初心(うぶ)と見てゐるらしい。かう云ふ御坊つちやんに、洗(あら)ひ浚(ざら)ひ自分の弱点を打(う)ち明(あ)けては、徒(いたづ)らに馬糞(まぐそ)を投(な)げて、御嬢さまを驚ろかせると同結果に陥いり易い。余計な事をして愛想(あいそ)を尽(つ)かされるよりは黙(だま)つてゐる方が安全だ。――代助には平岡の腹が斯(か)う取(と)れた。それで平岡が自分に返事もせずに無言(むごん)で歩(ある)いて行くのが、何となく馬鹿らしく見えた。平岡が代助を小供視(こどもし)する程度に於て、あるひは其(そ)れ以上の程度に於て、代助は平岡を小供視(こどもし)し始(はじ)めたのである。けれども両人(ふたり)が十五六間過(す)ぎて、又話(はなし)を遣(や)り出した時は、どちらにも、そんな痕迹は更(さら)になかつた。最初に口(くち)を切つたのは代助であつた。
「それで、是(これ)から先(さき)何(ど)うする積(つもり)かね」
「さあ」
「矢っ張り今迄の経験もあるんだから、同じ職業が可(い)いかも知れないね」
「さあ。事情次第だが。実は緩(ゆつ)くり君に相談して見様と思つてゐたんだが。何(ど)うだらう、君(きみ)の兄(にい)さんの会社の方に口(くち)はあるまいか」
「うん、頼(たの)んで見様、二三日内(うち)に家(うち)へ行く用があるから。然し何(ど)うかな」
「もし、実業の方が駄目なら、どつか新聞へでも這入らうかと思ふ」
「夫(それ)も好(い)いだらう」
 両人(ふたり)は又電車の通る通(とほり)へ出(で)た。平岡は向ふから来(き)た電車の軒(のき)を見てゐたが、突然是に乗つて帰ると云ひ出(だ)した。代助はさうかと答へた儘、留(と)めもしない、と云つて直(すぐ)分れもしなかつた。赤い棒の立つてゐる停留所迄歩(ある)いて来(き)た。そこで、
「三千代(みちよ)さんは何(ど)うした」と聞(き)いた。
「難有う、まあ相変らずだ。君に宜(よろ)しく云つてゐた。実は今日(けふ)連(つ)れて来(き)やうと思つたんだけれども、何だか汽車に揺(ゆ)れたんで頭(あたま)が悪(わる)いといふから宿(やど)屋へ置いて来(き)た」
 電車が二人(ふたり)の前で留(と)まつた。平岡は二三歩早足(はやあし)に行きかけたが、代助から注意されて已めた。彼(かれ)の乗るべき車はまだ着(つ)かなかつたのである。
「子供は惜(お)しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好(よ)かつた」
「其後(ご)は何(ど)うだい。まだ後(あと)は出来ないか」
「うん、未(ま)だにも何にも、もう駄目(だめ)だらう。身体(からだ)があんまり好(よ)くないものだからね」
「こんなに動く時は小供のない方が却つて便利で可(い)いかも知れない」
「夫(それ)もさうさ。一層(いつそ)君の様に一人身(ひとりみ)なら、猶の事、気楽で可(い)いかも知れない」
「一人身(ひとりみ)になるさ」
「冗談云つてら――夫よりか、妻(さい)が頻りに、君はもう奥さんを持つたらうか、未(ま)だだらうかつて気にしてゐたぜ」
 所へ電車が来(き)た。
posted by こころ at 18:44 | トラックバック(0) | それから
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