2006年11月22日

それから三の一


 代助(だいすけ)の父(ちゝ)は長井得(ながゐとく)といつて、御維新のとき、戦争に出(で)た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きてゐる。役人を已(や)めてから、実業界に這入つて、何(なに)か彼(かに)かしてゐるうちに、自然と金が貯(たま)つて、此十四五年来は大分(だいぶん)の財産家になつた。
 誠吾(せいご)と云ふ兄(あに)がある。学校を卒業してすぐ、父(ちゝ)の関係してゐる会社へ出(で)たので、今では其所(そこ)で重要な地位を占める様になつた。梅子といふ夫人に、二人(ふたり)の子供(こども)が出来た。兄は誠太郎と云つて十五になる。妹は縫(ぬひ)といつて三つ違である。
 誠吾(せいご)の外に姉がまだ一人(ひとり)あるが、是はある外交官に嫁いで、今は夫(おつと)と共に西洋にゐる。誠吾(せいご)と此姉の間にもう一人(ひとり)、それから此姉と代助の間にも、まだ一人(ひとり)兄弟があつたけれども、それは二人(ふたり)とも早く死んで仕舞つた。母も死んで仕舞つた。
 代助の一家(いつけ)は是丈の人数(にんず)から出来上(できあが)つてゐる。そのうちで外(そと)へ出(で)てゐるものは、西洋に行つた姉と、近頃(ちかごろ)一戸を構へた代助ばかりだから、本家(ほんけ)には大小合せて四人(よつたり)残る訳になる。
 代助は月に一度(いちど)は必ず本家(ほんけ)へ金(かね)を貰ひに行く。代助は親(おや)の金(かね)とも、兄(あに)の金ともつかぬものを使(つか)つて生きてゐる。月(つき)に一度の外(ほか)にも、退屈になれば出掛けて行く。さうして子供に調戯(からか)つたり、書生と五目並(ごもくならべ)をしたり、嫂(あによめ)と芝居の評をしたりして帰つて来(く)る。
 代助は此嫂(あによめ)を好(す)いてゐる。此嫂(あによめ)は、天保調と明治の現代調を、容赦なく継(つ)ぎ合(あは)せた様な一種の人物である。わざ/\仏蘭西(ふらんす)にゐる義妹(いもうと)に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物(おりもの)を取寄せて、それを四五人で裁(た)つて、帯に仕立てゝ着(き)て見たり何(なに)かする。後(あと)で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。夫(それ)から西洋の音楽が好(す)きで、よく代助に誘ひ出されて聞(きゝ)に行く。さうかと思ふと易断(うらなひ)に非常な興味を有(も)つてゐる。石龍子(せきりうし)と尾島某(おじまなにがし)を大いに崇拝する。代助も二三度御相伴(しようばん)に、俥(くるま)で易者(えきしや)の許(もと)迄食付(くつつ)いて行つた事がある。
 誠太郎と云ふ子は近頃ベースボールに熱中してゐる。代助が行つて時々(とき/″\)球(たま)を投(な)げてやる事がある。彼は妙な希望を持つた子供である。毎年(まいとし)夏(なつ)の初めに、多くの焼芋(やきいも)屋が俄然として氷水(こほりみづ)屋に変化するとき、第一番に馳けつけて、汗も出ないのに、氷菓(アイスクリーム)を食(く)ふものは誠太郎である。氷菓(アイスクリーム)がないときには、氷水(こほりみづ)で我慢する。さうして得意になつて帰つて来(く)る。近頃では、もし相撲の常設館が出来たら、一番先(さき)へ這入つて見たいと云つてゐる。叔父(おぢ)さん誰(だれ)か相撲を知りませんかと代助に聞いた事がある。
 縫(ぬひ)といふ娘(むすめ)は、何か云ふと、好(よ)くつてよ、知らないわと答へる。さうして日に何遍となくリボンを掛け易へる。近頃はイオリンの稽古に行く。帰つて来(く)ると、鋸(のこぎり)の目立(めた)ての様な声を出して御浚ひをする。たゞし人が見てゐると決して遣(や)らない。室(へや)を締(し)め切(き)つて、きい/\云はせるのだから、親(おや)は可なり上手だと思つてゐる。代助丈が時々(とき/″\)そつと戸を明(あ)けるので、好(よ)くつてよ、知らないわと叱(しか)られる。
 兄(あに)は大抵不在勝(がち)である。ことに忙(いそ)がしい時になると、家(うち)で食(く)ふのは朝食(あさめし)位なもので、あとは、何(ど)うして暮(くら)してゐるのか、二人(ふたり)の子供には全く分(わか)らない。同程度に於て代助にも分らない。是は分(わか)らない方が好(この)ましいので、必要のない限(かぎ)りは、兄(あに)の日々の戸外(こぐわい)生活に就て決して研究しないのである。
 代助は二人(ふたり)の子供に大変人望がある。嫂(あによめ)にも可(か)なりある。兄(あに)には、あるんだか、ないんだか分(わか)らない。会(たま)に兄(あに)と弟(おとゝ)が顔を合せると、たゞ浮世(うきよ)話をする。双方とも普通の顔で、大いに平気で遣(や)つてゐる。陳腐に慣(な)れ抜(ぬ)いた様子である。
posted by こころ at 18:49 | トラックバック(0) | それから
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