2006年05月27日

こころ上 先生と私一

 私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執(と)っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字(かしらもじ)などはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉(かまくら)である。その時私はまだ続きを読む
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こころ上 先生と私二

 私(わたくし)がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対に濡(ぬ)れた身体(からだ)を風に吹かして水から上がって来た。二人の間(あいだ)には目を遮(さえぎ)る幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに続きを読む
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こころ上 先生と私三

 私(わたくし)は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶(あいさつ)をする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ続きを読む
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こころ上 先生と私四

 私(わたくし)は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お宅(たく)へ伺っても宜(よ)ござんすか」と聞いた。先生は単簡(たんかん)にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少し続きを読む
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こころ上 先生と私五

 私(わたくし)は墓地の手前にある苗畠(なえばたけ)の左側からはいって、両方に楓(かえで)を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端(はず)れに見える茶店(ちゃみせ)の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡(めがね)の縁(ふち)が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然続きを読む
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こころ上 先生と私六

 私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数(どすう)が重なるにつれて、私はますます繁(しげ)く先生の玄関へ足を運んだ。
 けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶(あいさつ)をした時も、懇意になったその後(のち)も、あまり変りはなかった。先生は何時(いつ)も静かであった。ある時は静か過ぎて淋(さび)しいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても続きを読む
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こころ上 先生と私七

 私(わたくし)は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅(うち)へ出入(でい)りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊(たっと)むべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際(つきあい)ができたのだと思う。もし私の続きを読む
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こころ上 先生と私八

 幸(さいわ)いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私(わたくし)は、この予言の中(うち)に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内(うち)いつの間にか先生の食卓で飯(めし)を食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利(き)かなければならないようになった。
 普通の人間として私は続きを読む
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こころ上 先生と私九

 私(わたくし)の知る限り先生と奥さんとは、仲の好(い)い夫婦の一対(いっつい)であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解(わか)らなかったけれども、座敷で私と対坐(たいざ)している時、先生は何かのついでに、下女(げじょ)を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は続きを読む
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こころ上 先生と私十

 二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁(ちょう)も二丁もつづいた。その後(あと)で突然先生が口を利(き)き出した。
「悪い事をした。怒って出たから妻(さい)はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀(かわい)そうなものですね。私(わたくし)の妻などは私より外(ほか)にまるで頼りにするものがないんだから」
 先生の言葉はちょっとそこで続きを読む
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こころ上 先生と私十一

 その時の私(わたくし)はすでに大学生であった。始めて先生の宅(うち)へ来た頃(ころ)から見るとずっと成人した気でいた。奥さんとも大分(だいぶ)懇意になった後(のち)であった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。差向(さしむか)いで色々の話をした。しかしそれは続きを読む
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こころ上 先生と私十二

 奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「本当いうと合(あい)の子(こ)なんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取(とっとり)かどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分(じぶん)の市ヶ谷(いちがや)で生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。ところが続きを読む
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こころ上 先生と私十三

 我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉(うれ)しそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。
「恋は罪悪ですか」と私(わたくし)がその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
「なぜですか」
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こころ上 先生と私十四

 年の若い私(わたくし)はややともすると一図(いちず)になりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独(ひと)りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。
「あんまり逆上(のぼせ)ちゃいけません」と先生がいった。
「覚(さ)めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を続きを読む
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こころ上 先生と私十五

 その後(ご)私(わたくし)は奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。
 奥さんの様子は満足とも不満足とも極(き)めようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。それから奥さんは私に会うたびに続きを読む
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こころ上 先生と私十六

 私(わたくし)の行ったのはまだ灯(ひ)の点(つ)くか点かない暮れ方であったが、几帳面(きちょうめん)な先生はもう宅(うち)にいなかった。「時間に後(おく)れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を続きを読む
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こころ上 先生と私十七

 私(わたくし)はまだその後(あと)にいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒(いたず)らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗(こうちゃぢゃわん)の底を覗(のぞ)いて黙っている私を外(そ)らさないように、続きを読む
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こころ上 先生と私十八

 私(わたくし)は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺戟(しげき)を与えた。それで奥さんはその頃(ころ)流行(はや)り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。
 私は女というものに深い続きを読む
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こころ上 先生と私十九

 始め私(わたくし)は理解のある女性(にょしょう)として奥さんに対していた。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓(ハート)を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠(わだか)まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開(あ)けて見極(みきわ)めようとすると、続きを読む
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こころ上 先生と私二十

 私(わたくし)は私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと事の大根(おおね)を攫(つか)んでいなかった。奥さんの不安も実は続きを読む
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こころ上 先生と私二十一

 冬が来た時、私(わたくし)は偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できるなら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。
 父はかねてから続きを読む
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こころ上 先生と私二十二

 父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床(とこ)の上に胡坐(あぐら)をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝(じっ)としている。なにもう起きても好(い)いのさ」といった。しかしその翌日(よくじつ)からは母が止めるのも聞かずに、とうとう続きを読む
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2006年05月30日

こころ上 先生と私二十三

 私(わたくし)は退屈な父の相手としてよく将碁盤(しょうぎばん)に向かった。二人とも無精な性質(たち)なので、炬燵(こたつ)にあたったまま、盤を櫓(やぐら)の上へ載(の)せて、駒(こま)を動かすたびに、わざわざ手を掛蒲団(かけぶとん)の下から出すような事をした。時々持駒(もちごま)を失(な)くして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを母が続きを読む
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こころ上 先生と私二十四

 東京へ帰ってみると、松飾(まつかざり)はいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。
 私(わたくし)は早速(さっそく)先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸(しいたけ)もついでに持って行った。ただ出すのは少し変だから、続きを読む
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こころ上 先生と私二十五

 その年の六月に卒業するはずの私(わたくし)は、ぜひともこの論文を成規通(せいきどお)り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は続きを読む
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こころ上 先生と私二十六

 私(わたくし)の自由になったのは、八重桜(やえざくら)の散った枝にいつしか青い葉が霞(かす)むように伸び始める初夏の季節であった。私は籠(かご)を抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目(ひとめ)に見渡しながら、続きを読む
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こころ上 先生と私二十七

 私(わたくし)はすぐその帽子を取り上げた。所々(ところどころ)に着いている赤土を爪(つめ)で弾(はじ)きながら先生を呼んだ。
「先生帽子が落ちました」
「ありがとう」
 身体(からだ)を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、続きを読む
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こころ上 先生と私二十八

「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね、余計なお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、貰(もら)うものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万一の事が続きを読む
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こころ上 先生と私二十九

 先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなったので、私はついにその要領を得ないでしまった。先生の気にする財産云々(うんぬん)の掛念(けねん)はその時の私(わたくし)には全くなかった。私の性質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな続きを読む
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こころ上 先生と私三十

 その時の私(わたくし)は腹の中で先生を憎らしく思った。肩を並べて歩き出してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにいた。しかし先生の方では、それに気が付いていたのか、いないのか、まるで私の態度に拘泥(こだわ)る様子を見せなかった。いつもの通り沈黙がちに落ち付き払った歩調をすまして運んで行くので、私は少し業腹(ごうはら)になった。続きを読む
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2006年06月03日

こころ上 先生と私三十一

 その日の談話もついにこれぎりで発展せずにしまった。私(わたくし)はむしろ先生の態度に畏縮(いしゅく)して、先へ進む気が起らなかったのである。
 二人は市の外(はず)れから電車に乗ったが、車内ではほとんど口を聞かなかった。電車を降りると間もなく別れなければならなかった。別れる時の先生は、続きを読む
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こころ上 先生と私三十ニ

 私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。それでも私は予定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭(かびくさ)くなった古い冬服を行李(こうり)の中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。私は風の通らない厚羅紗(あつラシャ)の下に密封された自分の身体(からだ)を続きを読む
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こころ上 先生と私三十三

 飯(めし)になった時、奥さんは傍(そば)に坐(すわ)っている下女(げじょ)を次へ立たせて、自分で給仕(きゅうじ)の役をつとめた。これが表立たない客に対する先生の家の仕来(しきた)りらしかった。始めの一、二回は私(わたくし)も窮屈を感じたが、度数の重なるにつけ、茶碗(ちゃわん)を奥さんの前へ出すのが、何でもなくなった。
「お茶? ご飯(はん)? ずいぶんよく食べるのね」
 奥さんの方でも思い切って遠慮のない事をいうことがあった。しかしその日は、続きを読む
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2006年06月08日

こころ上 先生と私三十四

 私(わたくし)はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。二、三日うちに帰国するはずになっていたので、座を立つ前に私はちょっと暇乞(いとまご)いの言葉を述べた。
「また当分お目にかかれませんから」
「九月には出ていらっしゃるんでしょうね」
 私はもう卒業したのだから、必ず続きを読む
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こころ上 先生と私三十五

 私(わたくし)は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りの付くまで二人の相手になっていた。
「君はどう思います」と先生が聞いた。
 先生が先へ死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、固(もと)より私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ続きを読む
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こころ上 先生と私三十六

 私(わたくし)はその翌日(よくじつ)も暑さを冒(おか)して、頼まれものを買い集めて歩いた。手紙で注文を受けた時は何でもないように考えていたのが、いざとなると大変臆劫(おっくう)に感ぜられた。私は電車の中で汗を拭(ふ)きながら、他(ひと)の時間と手数に気の毒という観念をまるでもっていない田舎者(いなかもの)を憎らしく思った。
 私はこの一夏(ひとなつ)を無為に続きを読む
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こころ中 両親と私一

 宅(うち)へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。
「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」
 父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽(むぎわらぼう)の後ろへ、日除(ひよけ)のために括(くく)り付けた薄汚(うすぎた)ないハンケチをひらひらさせながら、続きを読む
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こころ中 両親と私二

 私(わたくし)は母を蔭(かげ)へ呼んで父の病状を尋ねた。
「お父さんはあんなに元気そうに庭へ出たり何かしているが、あれでいいんですか」
「もう何ともないようだよ。大方(おおかた)好くおなりなんだろう」
 母は案外平気であった。都会から懸(か)け隔たった森や田の中に住んでいる女の常として、続きを読む
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こころ中 両親と私三

 私(わたくし)のために赤い飯(めし)を炊(た)いて客をするという相談が父と母の間に起った。私は帰った当日から、あるいはこんな事になるだろうと思って、心のうちで暗(あん)にそれを恐れていた。私はすぐ断わった。
「あんまり仰山(ぎょうさん)な事は止(よ)してください」
 私は田舎(いなか)の客が嫌いだった。飲んだり食ったりするのを、続きを読む
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こころ中 両親と私四

 小勢(こぜい)な人数(にんず)には広過ぎる古い家がひっそりしている中に、私(わたくし)は行李(こうり)を解いて書物を繙(ひもと)き始めた。なぜか私は気が落ち付かなかった。あの目眩(めまぐ)るしい東京の下宿の二階で、遠く走る電車の音を耳にしながら、頁(ページ)を一枚一枚にまくって行く方が、気に張りがあって心持よく勉強ができた。
 私はややともすると机にもたれて仮寝(うたたね)をした。時にはわざわざ続きを読む
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2006年06月09日

こころ中 両親と私五

 父の元気は次第に衰えて行った。私(わたくし)を驚かせたハンケチ付きの古い麦藁帽子(むぎわらぼうし)が自然と閑却(かんきゃく)されるようになった。私は黒い煤(すす)けた棚の上に載(の)っているその帽子を眺(なが)めるたびに、父に対して気の毒な思いをした。父が以前のように、軽々と続きを読む
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2006年06月12日

こころ中 両親と私六

 八月の半(なか)ばごろになって、私(わたくし)はある朋友(ほうゆう)から手紙を受け取った。その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻(まわ)る男であった。この口も始めは自分の所へかかって来たのだが、もっと続きを読む
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こころ中 両親と私七

 父は明らかに自分の病気を恐れていた。しかし医者の来るたびに蒼蠅(うるさ)い質問を掛けて相手を困らす質(たち)でもなかった。医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかった。
 父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなった後(あと)のわが家(いえ)を想像して見るらしかった。続きを読む
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こころ中 両親と私八

 九月始めになって、私(わたくし)はいよいよまた東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。
「ここにこうしていたって、あなたのおっしゃる通りの地位が得られるものじゃないですから」
 私は父の希望する地位を得(う)るために東京へ行くような事をいった。
「無論口の見付かるまでで好(い)いですから」ともいった。
 私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父はまたあくまでもその反対を信じていた。続きを読む
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こころ中 両親と私九

 私(わたくし)がいよいよ立とうという間際になって、(たしか二日前の夕方の事であったと思うが、)父はまた突然引(ひ)っ繰(く)り返(かえ)った。私はその時書物や衣類を詰めた行李(こうり)をからげていた。父は風呂(ふろ)へ入ったところであった。続きを読む
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こころ中 両親と私十

 父の病気は同じような状態で一週間以上つづいた。私(わたくし)はその間に長い手紙を九州にいる兄宛(あて)で出した。妹(いもと)へは母から出させた。私は腹の中で、おそらくこれが父の健康に関して二人へやる最後の音信(たより)だろうと思った。それで両方へいよいよという場合には電報を打つから出て来いという意味を書き込めた。続きを読む
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こころ中 両親と私十一

 こうした落ち付きのない間にも、私(わたくし)はまだ静かに坐(すわ)る余裕をもっていた。偶(たま)には書物を開けて十頁(ページ)もつづけざまに読む時間さえ出て来た。一旦(いったん)堅く括(くく)られた私の行李(こうり)は、いつの間にか解かれてしまった。続きを読む
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こころ中 両親と私十二

 兄が帰って来た時、父は寝ながら新聞を読んでいた。父は平生(へいぜい)から何を措(お)いても新聞だけには眼を通す習慣であったが、床(とこ)についてからは、退屈のため猶更(なおさら)それを読みたがった。母も私(わたくし)も強(し)いては反対せずに、なるべく病人の思い通りにさせておいた。続きを読む
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こころ中 両親と私十三

 私(わたくし)の書いた手紙はかなり長いものであった。母も私も今度こそ先生から何とかいって来るだろうと考えていた。すると手紙を出して二日目にまた電報が私宛(あて)で届いた。それには来ないでもよろしいという文句だけしかなかった。私はそれを母に見せた。続きを読む
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こころ中 両親と私十四

 父の病気は最後の一撃を待つ間際(まぎわ)まで進んで来て、そこでしばらく躊躇(ちゅうちょ)するようにみえた。家のものは運命の宣告が、今日下(くだ)るか、今日下るかと思って、毎夜床(とこ)にはいった。続きを読む
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こころ中 両親と私十五

「先生先生というのは一体誰(だれ)の事だい」と兄が聞いた。
「こないだ話したじゃないか」と私(わたくし)は答えた。私は自分で質問をしておきながら、すぐ他(ひと)の説明を忘れてしまう兄に対して不快の念を起した。続きを読む
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こころ中 両親と私十六

 父は時々囈語(うわこと)をいうようになった。
「乃木大将(のぎたいしょう)に済まない。実に面目次第(めんぼくしだい)がない。いえ私もすぐお後(あと)から」
 こんな言葉をひょいひょい出した。母は気味を悪がった。なるべくみんなを枕元(まくらもと)へ集めておきたがった。気のたしかな時は頻(しき)りに淋(さび)しがる病人にもそれが希望らしく見えた。ことに室(へや)の中(うち)を見廻(みまわ)して母の影が見えないと、続きを読む
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こころ中 両親と私十七

 その日は病人の出来がことに悪いように見えた。私(わたくし)が厠(かわや)へ行こうとして席を立った時、廊下で行き合った兄は「どこへ行く」と番兵のような口調で誰何(すいか)した。続きを読む
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こころ中 両親と私十八

 病室にはいつの間にか医者が来ていた。なるべく病人を楽にするという主意からまた浣腸(かんちょう)を試みるところであった。看護婦は昨夜(ゆうべ)の疲れを休めるために別室で寝ていた。慣れない兄は起(た)ってまごまごしていた。私(わたくし)の顔を見ると、続きを読む
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こころ下 先生と遺書一

「……私(わたくし)はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいから宜(よろ)しく頼むと書いてあったのは、たしか二度目に手に入(い)ったものと記憶しています。私はそれを読んだ時何(なん)とかしたいと思ったのです。少なくとも返事を上げなければ済まんとは考えたのです。しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、続きを読む
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2006年06月13日

こころ下 先生と遺書二

「私(わたくし)はそれからこの手紙を書き出しました。平生(へいぜい)筆を持ちつけない私には、自分の思うように、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、あなたに対する私のこの義務を放擲(ほうてき)するところでした。しかしいくら止(よ)そうと思って筆を擱(お)いても、何にもなりませんでした。私は一時間経(た)たないうちにまた書きたくなりました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書三

「私が両親を亡(な)くしたのは、まだ私の廿歳(はたち)にならない時分でした。いつか妻(さい)があなたに話していたようにも記憶していますが、二人は同じ病気で死んだのです。しかも妻があなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。実をいうと、父の病気は恐るべき腸(ちょう)窒扶斯(チフス)でした。それが傍(そば)にいて看護をした母に伝染したのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書四

「とにかくたった一人取り残された私(わたくし)は、母のいい付け通り、この叔父(おじ)を頼るより外(ほか)に途(みち)はなかったのです。叔父はまた一切(いっさい)を引き受けて凡(すべ)ての世話をしてくれました。そうして私を私の希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書五

「私が夏休みを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えた私の住居(すまい)には、新しい主人として、叔父夫婦が入れ代って住んでいました。これは私が東京へ出る前からの約束でした。たった一人取り残された私が家にいない以上、そうでもするより外(ほか)に仕方がなかったのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書六

「私は縁談の事をそれなり忘れてしまいました。私の周囲(ぐるり)を取り捲(ま)いている青年の顔を見ると、世帯染(しょたいじ)みたものは一人もいません。みんな自由です、そうして悉(ことごと)く単独らしく思われたのです。こういう気楽な人の中(うち)にも、裏面にはいり込んだら、あるいは家庭の事情に余儀なくされて、すでに妻を迎えていたものがあったかも知れませんが、子供らしい私はそこに気が付きませんでした。続きを読む
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こころ下 先生と遺書七

「私が三度目に帰国したのは、それからまた一年経(た)った夏の取付(とっつき)でした。私はいつでも学年試験の済むのを待ちかねて東京を逃げました。私には故郷(ふるさと)がそれほど懐かしかったからです。あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、土地の匂(にお)いも格別です、父や母の記憶も濃(こまや)かに漂(ただよ)っています。続きを読む
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こころ下 先生と遺書八

「私は今まで叔父任(まか)せにしておいた家の財産について、詳しい知識を得なければ、死んだ父母(ちちはは)に対して済まないという気を起したのです。叔父は忙しい身体(からだ)だと自称するごとく、毎晩同じ所に寝泊(ねとま)りはしていませんでした。続きを読む
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こころ下 先生と遺書九

「一口(ひとくち)でいうと、叔父は私(わたくし)の財産を胡魔化(ごまか)したのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易(たやす)く行われたのです。すべてを叔父任(まか)せにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊(たっと)い男とでもいえましょうか。続きを読む
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こころ下 先生と遺書十

「金に不自由のない私(わたくし)は、騒々(そうぞう)しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆(ばあ)さんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅(うち)を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束(おぼつか)なく見えたのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書十一

「私は早速(さっそく)その家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中(うちじゅう)で一番好(い)い室(へや)でした。本郷辺(ほんごうへん)に高等下宿といった風(ふう)の家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間(ま)の様子を心得ていました。続きを読む
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2006年06月14日

こころ下 先生と遺書十二

「私の気分は国を立つ時すでに厭世的(えんせいてき)になっていました。他(ひと)は頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染(し)み込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父(おじ)だの叔母(おば)だの、その他(た)の親戚(しんせき)だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書十三

「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐(すわ)っている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家(うち)のものが、僻(ひが)んだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書十四

「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息(ひといき)するのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃(ころ)の私たちは大抵そんなものだったのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書十五

「私は奥さんの態度を色々綜合(そうごう)して見て、私がここの家(うち)で充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他(ひと)を疑(うたぐ)り始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書十六

「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸(し)み渡らないうちに烟(けむ)のごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。続きを読む
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2006年06月15日

こころ下 先生と遺書十七

「私が書物ばかり買うのを見て、奥さんは少し着物を拵(こしら)えろといいました。私は実際田舎(いなか)で織った木綿(もめん)ものしかもっていなかったのです。その頃(ころ)の学生は絹(いと)の入(はい)った着物を肌に着けませんでした。私の友達に横浜(よこはま)の商人(あきんど)か何(なに)かで、宅(うち)はなかなか派出(はで)に暮しているものがありましたが、続きを読む
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こころ下 先生と遺書十八

「私は宅(うち)へ帰って奥さんとお嬢さんにその話をしました。奥さんは笑いました。しかし定めて迷惑だろうといって私の顔を見ました。私はその時腹のなかで、男はこんな風(ふう)にして、女から気を引いて見られるのかと思いました。奥さんの眼は充分私にそう思わせるだけの意味をもっていたのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書十九

「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと小供(こども)の時からの仲好(なかよし)でした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗(しんしゅう)の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十

「Kと私(わたくし)は同じ科へ入学しました。Kは澄ました顔をして、養家から送ってくれる金で、自分の好きな道を歩き出したのです。知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、二つながらKの心にあったものと見るよりほか仕方がありません。Kは私よりも平気でした。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十一

「Kの手紙を見た養父は大変怒りました。親を騙(だま)すような不埒(ふらち)なものに学資を送る事はできないという厳しい返事をすぐ寄こしたのです。Kはそれを私(わたくし)に見せました。Kはまたそれと前後して実家から受け取った書翰(しょかん)も見せました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十二

「Kの事件が一段落ついた後(あと)で、私(わたくし)は彼の姉の夫から長い封書を受け取りました。Kの養子に行った先は、この人の親類に当るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、この人の意見が重きをなしていたのだと、Kは私に話して聞かせました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十三

「私の座敷には控えの間(ま)というような四畳が付属していました。玄関を上がって私のいる所へ通ろうとするには、ぜひこの四畳を横切らなければならないのだから、実用の点から見ると、至極(しごく)不便な室(へや)でした。私はここへKを入れたのです。もっとも最初は同じ八畳に二つ机を並べて、次の間を共有にして置く考えだったのですが、Kは狭苦しくっても一人でいる方が好(い)いといって、自分でそっちのほうを択(えら)んだのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十四

「私は奥さんからそういう風(ふう)に取り扱われた結果、段々快活になって来たのです。それを自覚していたから、同じものを今度はKの上に応用しようと試みたのです。Kと私とが性格の上において、大分(だいぶ)相違のある事は、長く交際(つきあ)って来た私によく解(わか)っていましたけれども、私の神経がこの家庭に入ってから多少角(かど)が取れたごとく、Kの心もここに置けばいつか沈まる事があるだろうと考えたのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十五

「私は蔭(かげ)へ廻(まわ)って、奥さんとお嬢さんに、なるべくKと話をするように頼みました。私は彼のこれまで通って来た無言生活が彼に祟(たた)っているのだろうと信じたからです。使わない鉄が腐るように、彼の心には錆(さび)が出ていたとしか、私には思われなかったのです。続きを読む
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2006年06月22日

こころ下 先生と遺書二十六

「Kと私(わたくし)は同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。私の方が早ければ、ただ彼の空室(くうしつ)を通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶(あいさつ)をして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖(ふすま)を開ける私をちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。私は何も答えないで点頭(うなず)く事もありますし、あるいはただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあります。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十七

「一週間ばかりして私(わたくし)はまたKとお嬢さんがいっしょに話している室(へや)を通り抜けました。その時お嬢さんは私の顔を見るや否(いな)や笑い出しました。私はすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったのでしょう。それをつい黙って自分の居間まで来てしまったのです。だからKもいつものように、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなりました。お嬢さんはすぐ障子(しょうじ)を開けて茶の間へ入ったようでした。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十八

「Kはあまり旅へ出ない男でした。私(わたくし)にも房州(ぼうしゅう)は始めてでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田(ほた)とかいいました。今ではどんなに変っているか知りませんが、その頃(ころ)はひどい漁村でした。第一(だいち)どこもかしこも腥(なまぐさ)いのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦(す)り剥(む)くのです。拳(こぶし)のような大きな石が打ち寄せる波に揉(も)まれて、始終ごろごろしているのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書二十九

「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際(てぎわ)では旨(うま)くゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種(たね)をもたないのも大分(だいぶ)いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学(どうがく)の余習(よしゅう)なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。続きを読む
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2006年07月01日

こころ下 先生と遺書三十

「こんな風(ふう)にして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体(からだ)の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急に他(ひと)の身体の中へ、自分の霊魂が宿替(やどがえ)をしたような気分になるのです。私(わたくし)は平生(へいぜい)の通りKと口を利(き)きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中(りょちゅう)限(かぎ)りという特別な性質を帯(お)びる風になったのです。つまり二人は暑さのため、潮(しお)のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった行商(ぎょうしょう)のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十一

「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点(しゅったつてん)がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十二

「それのみならず私(わたくし)はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生(へいぜい)の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻(あとまわ)しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作(しょさ)はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉(うれ)しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解(わか)るように、持前(もちまえ)の親切を余分に私の方へ割り宛(あ)ててくれたのです。だからKは別に厭(いや)な顔もせずに平気でいました。私は心の中(うち)でひそかに彼に対する歌(がいか)を奏しました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十三

「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私(わたくし)は外套(がいとう)を濡(ぬ)らして例の通り蒟蒻閻魔(こんにゃくえんま)を抜けて細い坂路(さかみち)を上(あが)って宅(うち)へ帰りました。Kの室は空虚(がらんどう)でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳(かざ)そうと思って、急いで自分の室の仕切(しき)りを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種(ひだね)さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十四

「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町(まさごちょう)で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中(あ)ててみろとしまいにいうのです。その頃(ころ)の私はまだ続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十五

「こんな訳で私(わたくし)はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦(すく)んでいました。身体(からだ)の悪い時に午睡(ひるね)などをすると、眼だけ覚(さ)めて周囲のものが判然(はっきり)見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十六

「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を已(や)めませんでした。しまいには私(わたくし)も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十七

「二人は各自(めいめい)の室(へや)に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。私(わたくし)も凝(じっ)と考え込んでいました。
 私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が後(おく)れてしまったという気も起りました。なぜ先刻(さっき)Kの言葉を遮(さえぎ)って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落(てぬか)りのように見えて来ました。せめてKの後(あと)に続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十八

「私が家へはいると間もなく俥(くるま)の音が聞こえました。今のように護謨輪(ゴムわ)のない時分でしたから、がらがらいう厭(いや)な響(ひび)きがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。
 私が夕飯(ゆうめし)に呼び出されたのは、それから三十分ばかり経(た)った後(あと)の事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの晴着(はれぎ)が脱ぎ棄(す)てられたまま、次の室を乱雑に彩(いろど)っていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は続きを読む
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こころ下 先生と遺書三十九

「Kの生返事(なまへんじ)は翌日(よくじつ)になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色(けしき)を決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが揃(そろ)って一日宅(うち)を空(あ)けでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。私(わたくし)はそれをよく心得ていました。心得ていながら、続きを読む
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こころ下 先生と遺書四十

「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引(ひ)っ繰(く)り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。続きを読む
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2006年07月05日

こころ下 先生と遺書四十一

「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体(からだ)、すべて私という名の付くものを五分(ぶ)の隙間(すきま)もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞(ようさい)の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺(なが)める事ができたも同じでした。続きを読む
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こころ下 先生と遺書四十二

「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗(あん)に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを騙(だま)し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍(そば)へ来て、お前は卑怯(ひきょう)だと一言(ひとこと)私語(ささや)いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を窘(たしな)めるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書四十三

「その頃(ころ)は覚醒(かくせい)とか新しい生活とかいう文字(もんじ)のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意(いちい)に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど尊(たっと)い過去があったからです。彼はそのために今日(こんにち)まで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の生温(なまぬる)い事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾烈(しれつ)な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み留(とど)まって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示す路(みち)を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情(ごうじょう)と我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書四十四

「Kの果断に富んだ性格は私(わたくし)によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔(ゆうじゅう)な訳も私にはちゃんと呑(の)み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫(つら)まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍(なんべん)も咀嚼(そしゃく)しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺(うご)き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。続きを読む
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こころ下 先生と遺書四十五

「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘(うそ)を快(こころよ)からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後(あと)を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然続きを読む
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こころ下 先生と遺書四十六

「私は猿楽町(さるがくちょう)から神保町(じんぼうちょう)の通りへ出て、小川町(おがわまち)の方へ曲りました。私がこの界隈(かいわい)を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺(てず)れのした書物などを眺(なが)める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅(うち)の事を考えていました。私には先刻(さっき)の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或(あ)る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。続きを読む
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